《対談》護国寺 岡本貫首に伺う「護国寺の歴史」

《対談!エビちゃんが聞きました》
えびさわけいこが、いろいろな方との対談を通じ新しい発見や驚きを皆様にお伝えするコーナーです。
気軽にためになるお話をご提供できたら嬉しいです。えびさわは、皆様とのご縁を大切にしていきます。

新コーナーの「対談!エビちゃんが聞きました」

第4回目は、平成25年8月15日、護国寺にて
真言宗豊山派大本山護国寺 第五十三世貫首 岡本永司さまと対談させていただきました。
お話(対談)がとても盛り上がったので、3回に分けてご紹介いたします。

今回、護国寺の第3弾は「護国寺について」のお話しを掲載します。
護国寺 第1弾「お盆はお母さんの日なんですよ」
護国寺 第2弾「ご先祖さまと自分の命」も読んでみてください。


えびさわ:文京区議会議員えびさわけいこ
岡本貫首:護国寺貫首の岡本永司さん
敬称は省略させていただきました。


えびさわけいこ(以下えびさわ)
岡本貫首は、護国寺の何代目の住職にあたるのですか?

岡本永司貫首(以下 岡本貫首)
元禄の手前あたりに護国寺は建てられまして、その頃から数えますと、私が「53代目」の住職です。

えびさわ
53代! 長い歴史と伝統があるのですね。岡本貫首になられてから、護国寺は今まで以上に地域の方々に開かれたと伺ったのですが。

岡本貫首

護国寺自体は昔から開かれたお寺だったようです。お寺の中でお相撲会が開催されていたという記録も残っているのですよ。きっと、護国寺で祭っているのが観音様だから、誰でも来なさいということだったんでしょうね。だから護国寺の門は、夜でもあえて閉めないのです。

江戸時代頃には、お花見などの時にはいろいろな店がでたりしてね、随分賑わったようです。音羽通りってあるでしょう? あそこには料亭などが並んでいたそうですよ。

えびさわ
護国寺は、今も昔も その時代その時代で地域と繋がってきたのですね。それにしても、音羽通りに料亭があったなんて知らなかったです。

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岡本貫首
そんな立派なものでも無いけれどね。
ちょっとした食事をそこでし、それからお参りをする事が、当時盛んだったようですよ。

そうそう、明治初期には、小さな興業などもやられていたそうですよ。
昔は今みたいに娯楽施設が全然ないから、みんなが集まって来たんですよ。

えびさわ
そうだったんですか! 徳川様の作ったお寺だから、堅苦しいものだと思っていましたが、地域の方々が集まる場所、そして心をいやす憩いの場所だったのですね。

岡本貫首
ここには徳川家のお墓はありません。
徳川五代将軍綱吉様のお母様である圭昌院さまが、何とか自分の息子が将軍の職につけますように、という思いで出来たお寺なのです。
子に対する母の思いがお寺になったわけで。
だから綱吉公は、随分と親孝行な方だったそうです。普通将軍職に就くと、親子であれ別々に暮らすようになり関係が疎遠になったりするのです。
けれど、いろいろな記録を見てみますと、綱吉公がお母様の元を訪れて肩を揉んだという話が残っているんですよ。

えびさわ
ここ護国寺に、綱吉公はいらしたことがあるのですか?

岡本貫首
何回も訪れていますよ。普通なら将軍様だけだったり、圭昌院さまだけだったりですが、二人ご一緒にお参りにいらしたそうです。そして、境内で仲良くお話しをされたそうです。

また圭昌院様は大変立派な方で、仏教に対する深く厚い信仰心がり、京都の寺々 法隆寺や興福寺などにも沢山ご寄附をしているんですよ。

えびさわ
そうなんですか。桂昌院さまについては、綱吉公のお母さんという事と、「玉の輿」の語源となった方という事くらいしか知らなかったので、信仰心が厚かった方と知って驚きました。

岡本貫首
特に興福寺は、経済的に大変疲弊していたのを、そのお金のおかげで今現在まであり続けることができているわけですよ。そう考えると圭昌院様は日本文化の恩人であるのですよ。

えびさわ
昨年、興福寺に行ってきましたが本当に素晴らしかったです。
こうして今の時代に、当時の文化に触れる事が出来たのは桂昌院様のお蔭だったのですね。感謝しなきゃ!!
そういえば、私も参加させて頂いている毎週日曜日の朝の“修養会”は、どんなきっかけで始まったのですか?

岡本貫首
これはね、戦後まで遡ります。
その頃に護国寺の住職をしていらっしゃったのは佐々木御前様でした。当時はだいぶ世の中が荒れていたのでしょう、なんとかみんなの気持ちを落ち着かせるために「観音様をお参りさせて貰えないでしょうか」と、町の有力者の方が三、四人で護国寺やってきたのです。

そこで佐々木住職は、「毎朝七時半にそういう会開きますから、毎日間違いなく来るようであれば許可しましょう」と言ったそうです。それから毎朝六時にはお堂を開けて、お経を唱えたのです。それで日曜日には普段来ることのできない人のために9時から会を開くことにしました。
それが“修養会”の始まりですね。もうかれこれ七〇年近く経っています。

えびさわ
70年、すごいですね!!
佐々木住職との約束を、ずっと守っている地域の方も、素晴らしいです。
その仲間に入れていただき、日曜日に“修養会”に参加させて頂けること本当に嬉しいです。

これからも、ずーっと、ずーっとこの歴史と伝統が続いて行くのですね。

今日は、本当に長時間に渡りいろいろなお話を聞かせて頂いてありがとうございます。

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護国寺の岡本永司貫首へのインタビューは、三回にわたり掲載させて頂きました。
第3弾は、護国寺についてです。僕が生まれた文京区にあるお寺なのに、誰が作ったのかもわからない。近すぎるがゆえに知らないという事はよくあります。

遠く離れた地の歴史に思いをはせるのもいいですが、まずはもっと地元の歴史について知るようにしていこうと思います。

僕が生れ、僕が育った文京区の事を、えびさわけいこさんのボランティアを通してもっと知っていきたいと思います。

写真撮影:刈谷 学  取材協力・記事:吉倉 実功


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